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帰国~現在

 

昭和音楽大学

帰国当時
 

帰国して就職先を探していた所、昭和音楽大学(当時は短期大学であった)でピアノ講師の公募があり応募したところ採用となった。

昭和音楽大学は現在日本にある音楽大学の中で一番最後に出来た音楽大学であるが、その校風は実に自由で明るく学生も先生も分けへだてることなく共に音楽に向き合っている、とても素敵な大学である。

 

今まで自分が勉強してきた色々な大学とはまたカラーが違い、上下でなく、横並びで、共に手をたずさえて音楽へアプローチしているように感じる。

学生はかつての自分がそうだった様に、ピアノが上手だから音大に来た、というより、上手に成りたくて勉強しに来たという学生たち達であり、音楽教育が技術教育でなく、人間形成に成っていると感じられる。

帰国リサイタル29才

田中希代子先生

5年以上に及ぶ留学生活から帰国しての自分はまるで浦島太郎の様であった。

そして今度は学生でなくプロとしての演奏活動を行う時、助けて頂いたのが田中希代子先生である。田中希代子(1932~1996)先生は、故安川壽子先生の弟子である。

田中先生は戦後すぐヨーロッパ、日本で活躍されたまぼろしのピアニストと言われる方で、その素晴らしい演奏は、今や伝説となっているほどである。

残念な事に、ご病気になられてからほとんど人前に出られる事は無くなったが、そのあまりにも純粋で志の高いレッスンは、私にとってかけがえの無いものであった。

田中希代子については(株)ショパンより「田中希代子 夜明けのピアニスト」として本が出版されている。

 

母として

昭和音楽大学の講師になった頃
 

私は36才で母親となった。
産休で休んでいる時、我が子の顔を見て改めて思ったのだ。

生まれたばかりの赤ん坊は、寝ているか泣いているかで、それほど違っている様には見えないのに、その後10年もすれば驚くほどの違いがでてくる。

はたして違いはどこから来るものなのか?

遺伝?環境?教育?
私は我が子を題材として、大脳発達生理学と幼児発達心理学を勉強しつつ、ピアノのレッスンを開始した。

全くゼロの子供がはたしてどのような過程を通って一人前の大人になるのか
私は今 その現場に立ち会っているのだ、と。

プレイ・ザ・ミュージック

そうして私は大学での授業と、自分の子供のピアノ教育を始めると共に、地域の子供たちも一緒に指導したいと思い、プレイ・ザ・ミュージックの音楽教室を立ち上げた。

それは、「もし自分が生まれ変わってもう一度赤ん坊からやり直せるなら、理想の教育を求めたい」との願いから発せられたのものである。

2才位から絶対音感とリトミックで音楽の基礎を作り、子供自身がピアノに興味を持って「自分も弾きたい!」という気持ちを育ててからピアノのレッスンを始めるという、私自身決して恵まれた音楽環境からスタートした音楽人生でなかったからこそ出来る教育をしたいのだ。

ピアノを習うことによって養われる集中力、忍耐力、思考力、記憶力、創造力、表現力、そして感性豊かな人間性と教養を身に付けてもらいたいと思う。

なぜならそれは、人として生き抜くために必要不可欠なものだから。

コンクールの審査員

私は現在、PTNA全日本ピアノ指導者協会、PITNAピアノコンペティション、日本ピアノ研究会において、ピアノコンクールとジュニアピアノコンクールの審査員をしています。

現在

コンクールという言葉だけで誰が上手かを競い合う所と思われる方もあるかと思いますが、それは違います。
ピアノのレッスンは、ともすれば教師と生徒の狭い世界に閉じこもってしまう傾向がありますが、コンクールではそれが公に成る事により、指導者にもアカデミックな責任を持った指導力を問われ、演奏者も発表会等とは違って、多くの審査員の前で自己実現するための技術力はもとより演奏解釈、表現力等、高い演奏能力を求められます。
これらは単にピアノのレッスンを続ければ自然と身に付くという物でもなく、コンクール等何か目標を持って、本人も指導者も共に勉強することによって出来るものでしょう。
やみくもに生徒の競争心をあおる事なく、成長段階に応じた目標を持つ事は大変有意義な事だと思います。
そして、結果よりもその過程こそが重要で、我々を大きく成長させてくれます。

 
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