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ピアノコラム piano column

 

[ヨーロッパ滞在記]

先日(2012年秋)、私は久々にヨーロッパを旅行してきた。
10月末という時期だったが、乗り換えで降り立ったフランクフルト空港は、うっすらと雪が積もっていた。
私が初めてこの空港に来たのは、33年前、本場ウイーンで音楽の勉強をするためだ。
たった一人で、しかも生まれて初めての海外旅行を個人で手配をし、アルバイトで貯めた全財産で買ったウイーンまでの片道航空券を握りしめ、言葉に対する不安と自分自身の可能性に対する心細さを、夢と希望で覆い隠し、はるばるヨーロッパへとやって来たのだ。
英語だって片言程度なのに・・・。

子供のころからピアノが大好きだったわけではない。
中学3年の時、高校受験の勉強をするのに、何か音楽でも聞こうかと、たまたま家にあったLPレコードが私の音楽心を目覚めさせたのだ。
私が高校3年までいた網走(北海道)は自然が豊かで観光地としては有名だが、音楽を勉強するというには決して恵まれた地ではなかった。
そんな所から、東京の音楽大学に進学するのはそれはそれは大変だった。
何とか国立音楽大学ピアノ科の学生になったものの、幼少期より恵まれた環境で基礎を勉強してきたクラスメイト達と、自分との決定的な違いをどうやって埋めていったらよいものかと、日々試行錯誤の連続で、授業以外は一日中ピアノの練習をしていた。
毎日の猛練習がたたってか、腱鞘炎になったり、指先にできた練習タコをナイフで削ったりしながらも、私の音楽に対する情熱は消えるどころか、増々燃え上っていった。
音大卒業が近くなる頃私は両親に本場ウイーンに留学させてもらいたい、と頼んだ。
もちろん良い返事などあるはずもない。
音楽とは無縁の生活をしている両親にしてみれば、とんでもない事だ。
私が猛練習をしていた事は知っていたが、自分たちも行った事の無い外国へ娘を一人で行かせるなど、考えもよらぬことだったろう。
私は頼んだ。毎日毎日頼んだ。土下座をして頼んだ。一生のお願いだと・・・

そうして私はヨーロッパへとたった1人でやって来たのだ。
フランクフルト空港で乗り換えをしウイーン空港に着いたのはたしか午後3時くらいだったと記憶している。
同じ門下生の先輩が空港まで迎えに来てくれる事になっていた。

ところがだ・・・・・・・いない。
誰もいないではないか。
同門の先輩とは、何度も手紙でやりとりをし、直接日本でも彼女の家まで挨拶にも行った。
「心配しなくて大丈夫!」と言ってくれたのだ・・・
私は待った。 ずっと待っていた。
何時間も食事もとらず待っていた。
とうとう、最終便の飛行機の発着が終わり夜12時も過ぎたころ「空港を閉める時間だから出て行ってくれ」と警備員さんがいってきた。

どうしよう・・・迎えの約束をした先輩が来ないのに・・・
もしかしたら、事故にでも合われたのではないか・・・
もしかしたら、急病にでもなったのか・・・・
電話をしてもだれもでない・・・

私は覚悟をきめた。ここまで来て一度もピアノを弾かずに帰るわけにはいかないのだ。
私は、公衆電話の横にあった電話帳からホテルの欄をみつけ片っ端から電話をかけた。
何とかその日泊まれるホテルに着いたのは夜中の2時を過ぎていた。

そうやって、私の留学生活は始まった。

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